はじめに

2ヶ月に渡り特集する「ミュージック・フェスティバル」。後半はインターネットの普及に伴いレコードや CD の売り上げ不振が騒がれる中、バブルのド真ん中にいるフェスティバルが、いつ頃どのような社会背景から生まれたのか。どこで誕生したのか。過去の歴史を振り返りながら、近年の異常な盛り上がりをみせる「フェスティバル・ブーム」について、ロックシーンやクラブ・カルチャーなど、音楽ビジネス全般で世界中から注目を浴びるイギリスの例を中心に検証してみよう。

ミュージック・フェスティバルの誕生

まず始めに、ミュージック・フェスティバルの始まりについて振り返ってみると、それは60年代に遡る。アメリカでは、正義なきベトナム戦争が泥沼化にする事により、長期化する戦争で経済が疲弊することによる貧困、犯罪の増加、教育の崩壊などが始まる。そして徴兵制を拒否する若者が多く現れ、後にヒッピーのムーブメントである「サマー・オブ・ラブ」と呼ばれるムーブメントが起こるには、十分な要因を秘めていた。1967年、カルファニア州モントレーで一人のプロモーターであったアラン・パリザーが、前年に同地で催されたジャズ・フェスティバルに影響され、ロックを中心としたフェスティバルを主催。まだ無名であってジャニス・ジャップリンやジミー・ヘンドリクスなどが聴衆を圧倒する伝説のライブを披露する事により、「モントレー・ポップ・フェスティバル」は大成功を収める。

 

'60年代後半、それまで音楽といえばポップスやジャズがメインだったのが、ロックが台頭するようになり、音楽が体制に主張ができる。''音楽が社会を変えられる'' と意識されるようになってきた時代であった。


モントレー・ポップ・フェスティバルから2年後の1969年、ヒッピーのムーブメントは頂点に達し、サマー・オブ・ラブは社会現象にまで規模が拡大する。多くの若者が自然と平和と歌を愛し、人間として自由に生きるというスタイルに憧れ、都会を離れ自然へと回帰していった。「ウッドストック・フェスティバル」は、カウンター・カルチャーとして起きたヒッピー・ムーブメント、サマー・オブ・ラブの集大成であった。ニューヨーク州サリバンの個人農場で行われ、当時主催者側は3〜5万人規模の集客を見込んでいたが、会場には40〜50万人の自由を求める若者が集結。

完全に主催者側の予想を上回る集客により、会場付近は大混雑となる。ほとんどの参加者が入場料を支払わなかった為、事実上フリー・イベントとなり、参加者はアルコール、ドラッグ、食べ物をシェア、そして嵐という天候不順にも関わらず3日間のフェスティバルに酔いしれた。翌年、ウッドストック・フェスティバルはドキュメンタリーとして映画化され、アカデミー賞を受賞するなどミュージック・フェスティバルやレイブカルチャーが欧米を中心に世界中で広まりはじめた。

 

映像:Santana - Soul Sacrifice (Woodstock 1969)

イギリスのミュージック・フェスティバル

時を同じくして1968年、イギリス南部に位置するワイト島で催されたワイト島ミュージック・フェスティバルに、ザ・フー、ジミー・ヘンドリクス、マイルス・デイビス、ドアーズ、エマーソン・レイク・アンド・パーマなどが出演し、多くの自由を求める若者達が参加。当時の入場料は3ポンド、日本円にすると1000円以下であった。 開始より3年目となる70年のワイト島のミュージック・フェスティバルでは、前年にアメリカで行われたウッドストックを超える60万人を集客。過去のミュージック・フェスティバルの歴史において、大規模で最も集客が多いフェスティバルとして伝説化されるも、参加者の安全面の補償が困難だった事や、近隣住民とのトラブルなどもあり、この年で短い歴史に幕を閉じることになる。しかし、終わるフェスティバルがあれば、新しく生まれるフェスティバルもある。

イングランド南西部サマーセット州の小さな牧場主、マイケル・イービスが自身の牧場で '70年にフェスティバルを開始。ヘッドライナーにはティー・レックスの前身となるバンドなどが登場し、1500人ほどを集客した。第1回目はピルトン・フェスティバルと名付けられた。これがグラストンベリー・フェスティバルの始まりである。これは現在世界最大規模の巨大フェスティバルであり、日本ではフジロックのモデルとなったことで知られている。第1回目のグラストンベリーの入場料は1ポンドと非常に安く、参加者にはマイケル・イービス氏の牧場で取れた搾り立ての牛乳が無料で配られていた。この当時のフェスティバルは社会的メッセージ性が強く体制に対して主張するという事、自然に回帰し人間性について見つめ直す事などが開催の目的であり、商業目的でフェスティバルを行っている主催者はほとんどいなかった。

 

映像:Pink Fairies Marching Drum Band - Glastonbury Festival 1971

サマー・オブ・ラブの終焉

サマー・オブ・ラブは1967年の夏に始まり、そこでヒッピー、フェスティバル、ニューシネマ、サイケデリックロックなどの文化が生まれた。しかしこのムーブメントは '70年に終わりを告げる。その原因の一つは、ドラッグの誘惑に魅せられ、自然と平和を愛し自由に生きている若者達をコピーする ''見かけ'' のヒッピーたちが、個人牧場や農場、またストーンヘンジのような重要文化財に勝手に住み始めたことから、地元住民に多大な迷惑を掛け始めた事である。サマー・オブ・ラブは流行に便乗した商売やメディアの報道により中身のない ''見かけ'' の文化にすりかわっていったのだ。この終焉をきっかけに、社会体制に対する疑問を主張していたミュージック・フェスティバルは、資本主義に沿った商業ベースでの運営を余儀なくされ、様々なタイプの人や団体及び会社によって主催されるように変化していった。

その後、音楽業界の繁栄と共にミュージック・フェスティバルは成長を続け、近年では毎年新しいフェスティバルが登場している。そして数えきれない程のフェスティバルが毎週末世界中で行われている。キャンプ型、都市型、一晩ガッツリ集中型から無料で楽しめるチャリティー・フェスティバルなど、参加者が自分の好みのフェスティバルを選び、出演アーティストの発表を待ち胸を踊らせ、また好きなアーティストが見たくてフェスティバルに参加するなど、アーティストにとっても参加者にとっても素晴らしい環境が出来上がっている。

まさにフェスティバル・ブームといっても過言ではない状態がここ3〜5年くらい続いており、参加者が年々増加している事に比例して、ジャンルも多岐化、参加予定者の選択の幅も広がっている。しかし現在、イギリスには一夏で数百という数のフェスティバルに加え、年々新しく生まれる新規加入のフェスティバルが客取り争いをしている状態で、老舗のフェスティバルでも油断はできない。そんな状況下で一年でなくなるフェスティバルも少なくない。

 

映像 : CREAMFIELDS 2007

流行してしまったフェスティバル

グラストンベリー・フェスティバルの一つのステージであった「グレード・テント」を独立させ、今やイギリスNo.1 ダンスミュージック・フェスティバルの呼び声も高い「グレード・フェスティバル」のオーガナイザー、ニック・ラッドはスクラフとのインタビューにおいて、「毎年新しいフェスティバルがどんどんスタートしている状態は異常だ」と語る。更に去年、「今後のフェスティバルの客取り合戦が白熱する」と予想していた。まさにその予想は的中し、開始より30年以上の歴史を持つグラストンベリー・フェスティバルでは2007年、16万5000枚のチケットが2時間で完売したが、2008年はイベント当日になってもチケットが売り切れなかった。

 

映像:Radiohead - Idioteque [Glastonbury 2003]

同フェスティバルは毎年、チケットの入手が超困難な事で有名であり、発売開始と同時に完売が常識だった。そして '07年よりチケットがダフ屋などの仲介業者の影響で高騰化する事を防ぐ為、事前に連絡先や顔写真などの個人情報を登録しなければ購入できないシステムを採用した。しかしこのシステムが十分に浸透しなかった事や毎年の悪天候が祟ったなどの理由で、完売までに至らなかったとされている。更に今年驚かされた事件は、ロンドン郊外にて '07年から始まりアンダーワールドなどの出演で話題となった、ルネッサンスが主催するワイルド・イン・ザ・カントリーがゲートオープンの2日前に突然キャンセルになった。今年はビョーク、リッチー・ホーティン、カール・クレイグ、フェイスレスなどの豪華なラインナップで、イギリス国内外を問わず注目されていたフェスティバルだっただけに衝撃である。

理由はビョークと主催者側間にトラブルが発生し、彼女が出演できなくなった事や、チケットの売れ行きが主催者側の予想よりも遥かに低い数字だったと言われている。しかしどんな理由であれ、チケットを買った参加予定者の期待を裏切った事には間違いない。イギリスではチャリティー団体や、市や区などの地方自治体により主催される参加無料のフェスティバルの存在などが売れ行きに影響しているという声もある。また、会場付近の住民からの苦情やトラブルの件数も年々増加しており、会場内のマナー低下に関する問題などで抱える問題は山積み。現在、流行してしまったフェスティバルに対するシワ寄せが始まっている。更にニック・ラッドは、「フェスティバルが流行した理由は、地球温暖化により暑くなり雨が少なくなっているのが大きい」とも語っているが、異常に過熱するフェスティバル・ブームも温暖化のように深刻化しないか心配である。

まとめ

ミュージック・フェスティバルは、音楽業界にとって新しいエンターテイメントとして大きな市場に育った。アーティストとしても、フェスティバルは大勢の観衆の前でパフォーマンスができるプロモーションのチャンスであり、最近では音楽だけに止まらずアートや映像、映画、更にサーカスやミュージカル、遊園地のアトラクションまで楽しめるフェスティバルも存在する。しかし、規模を拡大する事ばかりがフェスティバルではない事に人は気づき始めている。音楽は金持ちだけのためのものではない。商業的要素が強いフェスティバルを否定する気はないが、もう一度原点に振り返りローカルなフェスティバルにも目を向けてほしい。

 

映像:Bestival 2007 isle of wight

フェスティバルが世界中で毎日のように行われている今日において、社会的責任が大きくなっている自覚を持ち、地球環境や社会問題に対して真摯に受け止め、歴史を振り返りながら慎重に行動する必要がある時代に突入している。40年を超えたフェスの歴史が今後どのようになるかは、参加者、出演アーティスト、そして主催者側の気持ち次第である。

ピース!

 

Written by Taka↑