レゲエの原点 「スカ」

人口270万人弱のカリブ海に浮かぶ小さな島、ジャマイカ。日本の秋田県とほぼ同じ面積しかない、この小さな島で誕生した偉大なる音楽こそが ''レゲエ・ミュージック'' である。1950年代、独立以前からジャマイカの人々は、わずか数百キロ先のアメリカのラジオから流れる R&B (リズム&ブルース) を聴きながら、そのリズムをコピーしていくという手法でオリジナリティーを追求していった。そこで生み出された音楽が「スカ」と呼ばれ、これこそが、1962年ジャマイカ独立と同時に、オリジナル・ジャマイカン・ミュージック「レゲエ」の基礎となったものである。ジャマイカには元々、カリブの島々で当時人気があった音楽の「メント」や「カリプソ」があった。

しかしスカは、それらとは確実に違ったオリジナリティーを含んでいた。当時、ジャマイカの中産階級に好まれていたジャズと、アフリカ回帰主義のラスタファリアンの思想が影響し、スカが生まれたという事実は疑う事ができない。そして、スカ独特のアップテンポの裏打ちリズムは、ジャマイカの独立を祝うジャマイカの人々の気持ちと合致していた。スカは、1962年 (スカ元年) をスタート地点として世界中にレゲエを発信した国、ジャマイカの音楽原点である。そして偶然にも1962年とは、イギリスで最も成功したロックバンド The Beatles (ビートルズ) がレコードデビューを果たした年でもある。

レゲエの父 Coxsone Dodd

ジャマイカ初の黒人運営によるスタジオとレコード会社を設立し、世界に始めてジャマイカン・ミュージックを輸出した偉人「コクソン・ドット」は、ジャマイカン音楽の歴史を語る上で、絶対に忘れてはいけない最重要人物である。コクソンは自身のレーベルを始める以前、50年代後半からサウンドシステム (移動式スピーカー、アンプ、ターンテーブル、レコードの総称) に強い興味を持っていた。 サウンドシステムの所有者は、自慢のサウンドシステムを広場や公園に持ち込み、曲をかける 「セレクター」 や、曲に合わせてマイクで話す「DJ」などによってパーフォーマンスを行う。そこではお酒や食べ物などが販売されていた。当時のジャマイカは、アメリカからの安定したレコードの配給はあったものの、オーディオセットが普及していなかった一般層では、皆ラジオを聞いていたのだ。そんなジャマイカの人々にとってサウンドシステムは、レコードを鑑賞できる良い機会であった。

当初、コクソンもアメリカにレコードを掘りに行っては、大量の新しい音源を持ち帰り、自身のサウンドシステムでアメリカ産のジャズや R&B をプレイしていた。1960年代に入り、R&B の流行が鎮火していった頃、独立の日を待ち望むジャマイカの人々の思考が熱くなるのと平行して、サウンドシステムに盛り上がりをみせる。国内でスカが多く録音されるようになるに連れて、観客も新しい音とダンスを楽しむため出向くようになり、サウンドシステム間の競争が激しくなっていった。その中でもコクソンの「Coxsone Downbeat」とデューク・リードの「The Trojan」などがジャマイカで一番の座を争い、毎夜パーティーは繰り返されていた。ジャマイカ全土から彼らのサウンドシステムを求め、週末には野外にできた即席ディスコに2000〜3000人が集結し、セレクターがかけるオリジナル・ジャマイカン・ミュージックを聴きながら、レッドストライプス (ジャマイカンビール) を飲み、誰もがジャマイカ独立に酔いしれていた。

その後、コクソンが立ち上げたレーベル Studio1(スタジオ・ワン) が世界の音楽シーンに与えた影響は計り知れない。彼は、才能のあるアーティストを毎週日曜日に行われるオーディションで次々と発掘し、リリースを続けた。更に、ジャマイカの首都キングストンにレコード屋を数件オープンすると同時に、イギリスへのレコードの輸出をスタートさせ、それを成功させたのだ。彼がレゲエの父と呼ばれる由縁はそこにある。そして主催していた Studio1出身の有名なアーティストは、The Skatalites (ザ・スカタライツ)、Bob Marley&The Wailers (ボブ・マーリー&ウェイラーズ)、Prince Buster (プリンス・バスター)、Lee Perry (リー・ペリー)、Burning Spear (バーニング・スピア)、Toots&The Maytals (メイタルス)、Horace Andy (ホレス・アンディー)、Alton Ellis (アルトン・エリス)、U-Roy (ユーロイ)、Ken boothe (ケン・ブース)、 John Holt (ジョン・ホルト) と数え出すときりがない。

 

 

偉大な演奏家集団 The Skatalites

ジャマイカで音楽ビジネスが盛んになり始めた時期、コクソンのハウスバンドとしてキャリアをスタートしたスカタライツ。彼らは、ほぼ全ての studio1 アーティストのレコーディングで、バックバンドとしてプレイしている。当時の腕利きジャズ演奏者達の集まりであるスカタライツは、 ジャッキー・ミットゥ / ドン・ドラモンド / ローランド・アルフォンソ / トミー・マクック などの年齢層を越えた究極の音楽家集団であった。スカのメンバー編成は、基本的にジャズと同じため、ボーカルがないインストのスカを「ジャマイカン・ジャズ」と呼ぶ事もある。そんな彼らが脚光を浴び始めたのは、スカが国民的レベルでの音楽地位を築き上げた1964年から1965年であり、数多くのレーベルとのレコーディングをこなし、素晴らしい音源を残している。

イギリスでも、スカが1つの音楽ジャンルとして確立されたこの頃、UK レーベルがジャマイカの優れたアーティストとの契約に乗り出していた。その中で最も注目されていたのが、スカタライツである。オリジナル・メンバーの過半数がすでに他界しているにも関わらず、今でも根強い人気を誇っている。彼らの演奏について、多くを語る事は大変難しいが、ジャマイカの若者が当時あこがれていたルード感を見事に音で表現しているという事と、独特リズムが聴く人々を魅了する。百聞は一見にしかずではないが、聴いたことがない人はもちろん、スカが大好きな人も左に添付されている音源 (当時のスカタライツの映像は残っていないため音源だけとなるが) を是非聴いて欲しい。

スカタライツのメンバーは個人の作品も多く残しており、一人一人のアーティストの演奏レベルが極めて高いことから、ドン・ドラモンドのキラーチューン「Man in the street」などは、UK ヒットチャートに登場するほど勢いがあった。ジャマイカが生んだ最強のスーパースター・スカバンド ''スカタライツ'' 、これもコクソンがプロデュースした奇跡の一つである。

オリジナル・ルードボーイ

まず初めにスカに興味を示したのは、ハリウッド映画のギャングの格好をマネして、ポークパイ・ハットを被り、黒いスーツに細いネクタイをした「ルードボーイ」と呼ばれる、ゲットーで貧しい生活を送る若者たちだった。彼らは、仕事を求めて首都キングストンに出てきたものの、就職は難しかったようだ。ジャマイカが独立した後も、生活水準の変化はなく憤りを感じ、犯罪に走る若者が多かった。そんな彼らの心の支えだったのがスカであり、「ロックステディー」である。スカ以降、ジャマイカの音楽では多くのアーティストがルードボーイの生活について歌っており、Rude やRudi といった言葉が、タイトルに含まれている曲が多数存在している。あの伝説のボブ・マーリーも10代でデビューした当時は、完全無欠のルードボーイ・トリオ ''ウェイラーズ'' として、ピーター・トッシュ、バニー・ウェイラーと共に、オリジナル・ルードボーイとして人気を誇った。

 

そんなルードボーイ達のカリスマ的存在だったのが、スカタライツのトロンボーン奏者である、ドン・ドラモンドだった。メンバー内で一番の人気を誇り、 天才肌だった彼の人生は短命に終わる。1965年1月1日、ガールフレンドでシンガーのマルガリータが謎の死を遂げ、彼は犯人として逮捕される。そして、精神患者の収容所に入れられ、それから4年後の1969年に収容所から出る事なく、彼も謎の死を遂げた。それはまるで、一斉を風靡した UK パンクバンド、セックス・ピストルズのシド・ヴィシャスのような生き様だ。しかしこの事件は、シドがチェルシーホテルでナンシーを殺害した事件より、10年以上も前の出来事である。これを1つのきっかけに、スカタライツは活動を停止する。スカタライツを名乗ってからの活動期間はたった1年だったが、その後も「ソウル・ブラザーズ」や「サウンド・ディメンション」と名前を変えて、多くのアーティストのバックバンドとして演奏を続けた。1980年代にはオリジナルメンバーで再結成され、今現在も活動を精力的に続けている。

コクソンの声 Studio One Story

ここまで、50年代後半から65年スカタライツ解散までの流れについて話してきた。ちなみに、ここに書かれている事が歴史の全てではない。プリンス・バスターやデリック・モーガンは、自分達がスカを始めたと語っているし、デューク・リードが率いるトレジャーアイル・レーベルの功績も、偉大であると間違いなく言える。しかし、当時を知るアーティストは他界し、真実を正確に知る事はとても困難だ。それ故、2002年に UK レーベル、ソウルジャズレコードがリリースしたDVD 「Studio One Story (スタジオ・ワン・ストーリー)」の4時間にも渡るコクソン・トッドのインタビューは、全レゲエファンにとって驚愕の内容となった。

 

この DVD では、当時の生き証人である、アグリー・フェイスで有名なキング・スティットを始め、ホレス・アンディ、アルトン・エリス、ケン・ブース、ローン・レンジャー、デニス・アルカポーンなどの多くのアーティストが当時について語っている。また、カウント・オジーのナイヤビンギ集団のドラミングや、アーネスト・ラングリンのギターシーンのような貴重なライブ映像も含まれている。その他、DVD に付属しているサントラが CD と LP から選べるし、レゲエ好きには必見のアイテムだ。これは、Studio1のレア音源をコンパイルしたレコードを再発しているソウルジャズレコードと、インタビューのリリースから2年後の2004年に他界したコクソンの集大成でもある。

 

最後に

今回私がレゲエの軌跡を書くにあたり、このコクソン・インタビューや、ジャマイカ人から売ってもらった (売りつけられた w) コピーDVD などが大変に参考になったので、この場を借りて紹介させてもらった。そして最後に、今回の記事の時代背景と完全に一致した音楽を含む映像を発見したので、是非観て欲しい。次回は、スカよりもゆっくりなテンポの 「ロックステディー」 が、「レゲエ」 に進化していく様と、ボブ・マーリーが世界に発信したレゲエに迫る。レゲエファンは必見の内容である事を約束して前編を終わる。リスペクト! > 後編を読む

 

Written by Taka↑